診断士への道(その4) [診断士]
2007年の受験1年目は、自宅にネットの環境も整っておらず、
情報も少なかったため、ただひたすら通信教育のテキストと
睨めっこする毎日でした。手帳で振り返ってみると、早朝に
勉強していることが多かったようです。週末はサッカーの試合
だったり旅行に行ったりと、わりあいノンビリとした受験生だっ
たように思われます。2次試験の勉強も手つかずですし、1次
試験の「中小企業経営・中小企業政策」もどんな風に勉強す
ればいいのかも分かってませんでした。
そんな状態で、6月末に行われたTACの1次模試を受験する
ことになります。結果は、7科目中4科目が本番では足切りと
なる40点以下、合計で256点/700点と惨憺たるものでした。
結果は最悪だったものの、人生で十数年ぶりに模試(2日間の
会場受験)を受験したことは大いに刺激になりました。これまで
1人で通信学習をしており、どことなく危機感に乏しかったものが、
会場で大勢のライバルが真剣勝負をしている雰囲気を感じること
で、何としても1次試験を突破したいという気持ちが高まりました。
残り1カ月となった7月、いよいよ最後の追い込みに入りました。
(とはいえ、7月はサッカーの公式戦2試合に子どもと海水浴2回、
ポケモンの映画に花火大会とけっこう遊んでます・・・。)
今となっては勉強量少ないなーと思いますが、過去問3年分と模
試の復習に注力して、8月の本番を迎えました。作戦としては苦手
意識のある「経営法務」の失点をやや得意科目の「企業経営理論」
と「運営管理」でカバーして、合計で440点を目指すというものでした。
職場の理解もあり、試験前日には休暇を頂き、試験会場近くのホテル
に前泊することができました。診断士の試験を受験しだしてから、模試
や本番試験等仕事以外で“1人でホテルに泊まる”という経験を数回し
ましたが、今となってはいい思い出です。
試験会場は昔付き合っていた彼女が通っていた大学で、ちょっとセンチ
な気分を味わいつつ、大一番を迎えることになりました。
情報も少なかったため、ただひたすら通信教育のテキストと
睨めっこする毎日でした。手帳で振り返ってみると、早朝に
勉強していることが多かったようです。週末はサッカーの試合
だったり旅行に行ったりと、わりあいノンビリとした受験生だっ
たように思われます。2次試験の勉強も手つかずですし、1次
試験の「中小企業経営・中小企業政策」もどんな風に勉強す
ればいいのかも分かってませんでした。
そんな状態で、6月末に行われたTACの1次模試を受験する
ことになります。結果は、7科目中4科目が本番では足切りと
なる40点以下、合計で256点/700点と惨憺たるものでした。
結果は最悪だったものの、人生で十数年ぶりに模試(2日間の
会場受験)を受験したことは大いに刺激になりました。これまで
1人で通信学習をしており、どことなく危機感に乏しかったものが、
会場で大勢のライバルが真剣勝負をしている雰囲気を感じること
で、何としても1次試験を突破したいという気持ちが高まりました。
残り1カ月となった7月、いよいよ最後の追い込みに入りました。
(とはいえ、7月はサッカーの公式戦2試合に子どもと海水浴2回、
ポケモンの映画に花火大会とけっこう遊んでます・・・。)
今となっては勉強量少ないなーと思いますが、過去問3年分と模
試の復習に注力して、8月の本番を迎えました。作戦としては苦手
意識のある「経営法務」の失点をやや得意科目の「企業経営理論」
と「運営管理」でカバーして、合計で440点を目指すというものでした。
職場の理解もあり、試験前日には休暇を頂き、試験会場近くのホテル
に前泊することができました。診断士の試験を受験しだしてから、模試
や本番試験等仕事以外で“1人でホテルに泊まる”という経験を数回し
ましたが、今となってはいい思い出です。
試験会場は昔付き合っていた彼女が通っていた大学で、ちょっとセンチ
な気分を味わいつつ、大一番を迎えることになりました。
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